活躍する住民
「子ども叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」安芸猟友会 芸西地区隊長 高松さん
芸西村でナス農家を営みながら、長年、猟友会の活動に携わってきた高松さん。イノシシやシカによる農作物の被害に対応し、地域の農業を守る一方で、神社の行事や祭りにも長く関わってこられました。
山で遊び、猟を覚え、農業を続けてきた高松さんにとって、芸西村は生まれ育った場所であり、暮らしを重ねてきた場所。猟友会の活動から農業のこと、昔の村の様子、そして地域のつながりについて。時には笑いながら、時には少し寂しそうに、たくさんのお話を聞かせていただきました。

農作物を守るため、イノシシやシカと向き合う
猟友会での普段の活動は?
芸西地区には、今26人くらいおるかな。みんなが一緒に活動するというより、それぞれが自分の場所でやりゆう感じやね。イノシシを捕る人は何人かでグループをつくって行くこともあるし、一人でやりゆう人もおる。
山にもそれぞれ、よく行く場所があるがよ。縄張りというたらおかしいけんど、「あの人はあの辺でやりゆう」というのは、だいたい分かっちゅう。
役場から連絡があって、駆除に行くこともあるね。
昨日も、この近くのお宮の横の田んぼにイノシシが来るという話があって、見に行っちょったところよ。イノシシは田んぼの畦を掘り返すがよ。せっかくつくったところを掘られたら困るやろ。農家さんから相談があったり、役場を通して連絡が来たりするね。
ゴルフ場やホテルの周辺に出ることもあるね。観光客がおるところやったら、危ないき何とかしてくれんか、という話にもなる。けんど、どこでも鉄砲を撃てるわけやないきね。人家が近いところもあるし、いろいろ決まりもある。だから、頼まれたら何でもすぐできるというものでもないがよ。
昔は、被害が出て困ってから駆除をすることが多かったけんど、今は被害を防ぐための対応も必要になっちゅう。
自分らが若い頃は、猟というたら鳥やったけんどね。今はイノシシやシカの話が多いね。
小学校の頃は、イノシシなんか見たことなかったね。鳥はようおったけんど。それが30代の頃からかな、だんだんイノシシが増えてきた。反対に、鳥は少なくなったね。山に食べるものがないから下りてくるんやないかと思うけんど、はっきりしたことは分からん。
シカも田んぼに来るがよ。稲を植えたばっかりのときに入られたら、引き抜かれたり、食べられたりする。電気柵をつけても、慣れてしまうこともあるしね。農家にとっては、昔からずっと野生動物との付き合いがあるわけよ。
「慣れちゅうから大丈夫」とは、絶対に思わん
―――猟友会の活動で、危ない思いをされたことは?
あるある。罠にかかったイノシシでも、ものすごい力で暴れるがよ。ワイヤーが外れてこっちに向かってきたこともあるし、足元が滑ってイノシシの横に転びそうになったこともある。知り合いにも、手をかまれて大変な思いをした人がおる。
やっぱり、なめたらいかんがよ。慣れちゅうと思うてもね。小さいイノシシでも油断したらいかん。
罠にかかったイノシシは、いったん下がって勢いをつけて突っ込んでくることもある。だから、近づくときは周りの木や地形も見ながら、慎重にせないかん。何があるか分からんきね。
―――そうした経験を、若い人に教えることは?
聞いてくれたら教えるよ。前にも農業も猟もやってみたいという話があったがよ。山を見に行きたいとか、教えてほしいとか言うてくれたら、連れて行ったり、いろいろ教えるけんどね。農業もそうやけんど、時間になったき終わり、土日やき休み、というわけにはいかんこともある。自然相手の仕事やきね。
猟友会も、年を取って鉄砲をやめる人もおるし、若い人が新しく始めるのも簡単やない。免許や手続きもあるし、鉄砲を持つにはいろいろ厳しい決まりがあるきね。
猟友会としての活動を続けていくにも、お金がかかる。好きでやりゆう人もおるけんど、農作物の被害を防ぐためには、これからも誰かがやらないかん仕事やと思うね。

山で育ち、農業を営み、猟を続けてきた
猟を始めたきっかけは?
もう小さい頃からやね。僕らは山の上に住んじょったき、子どもの頃から山で遊びよった。小鳥を捕ったり、川へ行ってアユを捕ったりね。
昔は、馬の尻尾の毛を使う罠なんかもあったがよ。そういうのを自分らでつくって、鳥を捕ったりしよった。今の人は知らんかもしれんけんど、昔はそんな遊びをしよったわけよ。それで、大人になって鉄砲を持つようになって、猟友会にも入った。
農業も、もともと山の方で米をつくったりしよった。
そのあと、こっちへ来てハウスを始めたがよ。今もナスをつくりゆう。昔はもっとつくりよったけんど、年も取ってきたし、今は自分のできる範囲でやりゆうね。
ハウスも古うなってきたし、新しく建てようと思うたら、ものすごいお金がかかる。若い人が農業を始めるにしても、設備や農機具をそろえるのは大変やと思う。最近は土を使わん栽培方法も増えてきたね。水や肥料を自動で管理するようなやり方もある。自分らは土でやりゆうけんど、農業のやり方もだんだん変わってきた。それぞれ良いところがあるんやろうけんどね。
自分は、今できることを続けていく。それが一番やと思いゆう。

芸西村の昔と今
変わってきたのは、人との付き合い
芸西村は昔と比べて、道もようなったし、新しい家も建ったね。山も海もあるし、温かいし、暮らしやすいところやと思うよ。
けんど、昔と変わったと思うのは、近所同士の付き合いやね。
昔は、集落の中でいろいろな行事があったがよ。班があって、みんなでお金を出し合ったり、何かあると集まったりしてね。今は新しく家を建てても、そういうのに入らん人もおる。
それぞれの考え方があるき、仕方ないところもあるけんど、昔みたいな付き合いは少なくなったね。
―――地域の行事に長く関わってこられたんですよね
そうやね。お宮の行事なんかは、ずっとやりゆう。もう何十年になるかな。正月は、31日からお宮に泊まって、夜中に初詣に来る人を迎えるがよ。もう長いこと、家で正月のテレビを見たことがないね(笑)。
昔は集落でしめ縄をつくったりもしたし、いろんなことをみんなでやりよった。しめ縄も、ただ縄をなうだけやない。お宮のものは、なう向きにも決まりがあるがよ。そういうことも、昔は年上の人から教えてもらいよったね。今は、若い人に教えようと思うてもなかなか機会がない。
担ぐ人がいない。それでも続けてきた地域の祭り
地域の祭りでも、昔は、神輿を担いで回りよったがよ。けんど、今は担ぐ人がおらん。「誰が担ぐが」「誰がおるが」いう話になるきね。神輿を担ぐのは、なかなかしんどい仕事やき。
それで最近は、車に乗せて運ぶこともある。昔は幼稚園や小学校、役場の方へ行ったりもしよったけんど、曜日によっては学校が休みのこともあるしね。昔と同じようにはできんなってきた。
それでも、何とか行事は残っちゅう。集落で集まって、お寿司をつくったり、みんなで食べたり。そういうことも、まだ続いちゅうところはある。けんど、それもだんだん難しゅうなってきたね。
若い人に「なんでそんなことせないかんが?」と言われることもある。昔からやりよったき、というてもね。「なんで昔からやりよったことを、今もせないかんが?」と言われたら、確かにそうかもしれん。面倒くさいこともあるし、仕事が忙しい人もおる。みんなそれぞれ生活があるきね。
けんど、誰もやらんなったら、行事はなくなってしまう。それに、こういうことはやって当たり前になっちゅうところがあるき、やりよったら何も言われんけんど、やらんなったら「あれはどうなっちゅうが」と言われる。ほんなら「誰か代わりにやってくれんか」と言うても、なかなかやってくれる人がおらん。「なんで自分がせないかんが」となるきね。
その気持ちも分からんことはない。でも、そうやって一つずつなくなっていったら、地域の行事は続かんなるね。
昔は、年上の人がいろいろ教えてくれたがよ。僕がこっちへ来た頃も、先輩がおってね。「今度こんなことがあるき」「こういうことをせないかんき」と、前もって教えてくれよった。それは本当にうれしかったね。知らんことを教えてくれる人がおったきね。
けんど、今は「いらんことを言うな」となることもある。隣に誰が住んじゅうか、何をしゆうかも分からんという感じやったり。今は個人情報とか、いろいろ難しいこともあるやろ。
けんど、例えば近所のおばあちゃんが普段どこにおるか、元気にしゆうか、そういうことを知っちゅうのは大事なことやと思うがよ。何かあったときに、「あの人、今日はおらんね」「どうしゆうろう」と気にかけることができるやろ。
地震なんかがあったときも、近所に誰がおるか分からんかったら、どうするがと思う。昔は、近所同士で自然とそういうことが分かりよった。今は、他人のことにあまり関わらんようになってきたね。
もちろん、昔と今では考え方も違うし、何でも昔がよかったとは言えんけんど。ただ、地域で暮らす以上、何かあったときに助け合えるような付き合いは、あった方がええと思うね。
昔は、地域の運動会もあったし、地区対抗のバレーボール大会や、早起きソフトボールなんかもあったがよ。子どもも大人も一緒になって、いろんな行事をしよった。運動会でも、年齢によって出る競技が決まっちょったりしてね。若い人も年寄りも、それぞれ出番があった。今は、そういう行事もほとんどなくなった。
集まる機会が減ったら、顔を合わせることも減るやろ。だから、昔から続いちゅうお宮の行事なんかも、できるだけ残ってほしいとは思うね。

「子ども叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」
これからの活動について
まあ、現状維持ができたらええんやないかね。
自分もナスをつくりゆうけんど、昔みたいにはできんなってきた。年がいったら、体が動かんなるきね。
若いときは、そんなこと思わんがよ。先輩らが「もう重たいもんを持てん」とか言いよっても、若いときは何とも思わん。けんど自分がその年になったら分かるね。
自分は、ことわざが好きでね。
「子ども叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」という言葉があるやろ。
若い頃は何も分からんかったことも、年がいったら分かるようになる。昔の人は、よう言うたもんやと思うね。農業も、猟友会も、地域の行事も、今までずっとやってきたけんど、これからは自分のできる範囲でやっていく。
まぁ、現状維持やね。

【取材後記】
猟友会の活動や農業のこと、昔の芸西村の暮らし、地域の祭りまで。高松さんのお話には、長年この村で暮らしてきたからこその実感が詰まっていました。
取材場所は、農機具を保管したり、罠を作ったりする倉庫。そこにはたくさんの鶏や犬がいて、動物たちと愛おしそうに触れ合う高松さんの優しい笑顔が印象的でした。
途中、かわいいヒヨコを手にのせていただきながらお話を伺う場面も(笑)。
猟友会の活動について真剣に語る姿と、動物たちに向ける温かなまなざし。高松さんのさまざまな一面に触れられた、楽しい取材となりました。